未来への活路をこじ開けるために、僕はこの記事で、悩みの受け入れ方について触れていきたいと思います。
「こんなの大したことないのに、悩んではいけない!!」
とりわけ自分に対して厳しいあなたに、また過去の自分に面と向かって伝えたいと思うことです。
悩むことへの禁止令という罠は、僕やあなたをこの場にずーーーーっと立ち止まらせ、停滞させるためだったとすると?
悩みを禁止することが望む状態を実現する足かせになっていたとしたら?
この罠にハマらないために、自分に説得を行った2つの考え方と、悩みを受け入れ創造に転ずるプロセスについて触れて参りましょう!!
悩むことを禁止するに至った背景は、人によって様々だと思います。
他にも色々あると思いますが、僕は自分よりも大変だと思う境遇の人に対して申し訳ないと思うから禁止することが多かったですね。
今回は申し訳ないから悩んではいけないという禁止令をどう解いたかを書いていきます。残り2つは最後には自ずと解決されています。
ではまず欲求段階説からのアプローチ。
心理学者のフィリップ・マズローは、人の欲求には段階がありピラミッドのような階層の構造になっていると説明しました。
下から順に、生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→承認欲求→実現欲求の5つから成ります。下層をある程度満たせば次の欲求が生まれることから欲求段階説と名付けられました。
上層の欲求のステージにいるからといって、下層の欲求のステージに対して申し訳ないと思うのでしょうか?
答えはない!です。
このブログを読んでいるあなたや僕は、日本に住んでいますよね。日本は生活インフラが整っているので、睡眠や食事や医療など生存は余程のことが無い限り確保されています。また治安も良いので安全面も限りなく高い上に、学校教育や習い事など各社会への所属も困ることはありません。
でもどうでしょうか?
ぶっちゃけ悩みってありますよね?
しなければならないことのプレッシャーだったり、集団に馴染めないことだったり、人よりも劣等感を感じたり、悩みは至るところで現れます。
一方で発展途上国等はどうでしょうか?
食料や飲料水の確保がままならなかったり、治療もろくに出来ない環境だってあると思います。また戦時中の国であれば、ビュンビュン弾丸が飛び交いおちおち寝てられないほど危険な情勢だってあるかもしれません。
僕やあなたが悩みにガァーっと襲われているときに、そのような生存が困難な過酷な環境の人がいるから悩むのは申し訳ないと考えるでしょうか?
実際そこまで考えて、禁止することってないですよね。
だから欲求のステージが別にどこにあったとしても、悩みそのものは生ずるのです。生ずるものなのです。
禁止するものではないのです。
では同じ欲求のステージにいても、そこに程度の差があれば、より大変な状況の人に対しては申し訳ないと思うのではないか?という反論があるかもしれません。
この質問に対しては捉え方の解釈を理解すると解決できます。
例えばあなたが学校のテストで80点を取ったとします。その結果に対してどう思うでしょう?
80点という結果は1つ。それなのにどう捉えるかは、人によって異なるのです。
要するに自分がどう捉えるかです。自分を認めるのに他の人の点数は関係ありません。
センターピースシリーズの2記事目で、僕は家族間の問題に触れました。
両親は不仲で様々な問題が起こり続けました。しかし問題の渦中にいながらも、僕はこう思う節があったのです。
世の中には、離婚をしている夫婦や子どもが虐待を受けている家庭がある。もし僕が同じ状況に直面するともっと辛いと感じるから、今の環境に悩んではいけない。と。
そうじゃないんです。この考え方は罠なんです。
もう一度いいます。要するに自分がどう捉えるかです。自分の捉え方に他所の環境は、あまり関係がないのです。
生じた欲求が満たせていないから、悩みが生じるのです。だから悩むことは自然なことなんですよ。
悪いと思うのは、配慮することと悩むことを区別出来ていないから。
自分より大変だと感じる人に申し訳ないと思うのであれば、その人に対して悩みを打ち明けないよう配慮をすれば良いだけです。他の人に相談するなり対応を変えれば良いのです。別に悩みを禁止する必要はありません笑。
よくよく考えてみればとても簡単なことなのに、僕は禁止してばっかりでした。
それがこの2つの説得を行うことで、今では悩みがあることを受け入れられるようになれています。
そもそもですが、悩みを受け入れられるようになると、いったい何が変わるのでしょうか?
悩みがあることを受け入れるとは、いったいどういうことでしょうか?禁止することとは何が違うのでしょうか?
あっ、○○について悩みがあるな!と認識することは、気付くことです。
悩みに気付くと、○○を解決し、人生をより良くしたいという裏側にある意欲があることを認めることが出来ます。
そもそも悩みを禁止することは、気付きと意欲そのものを無かったことにするのと等しいでしょう。
それに対し、悩みがあるものとして受け入れ、自分が望むことに向けての気付きや意欲を素晴らしいとねぎらってやると、自己肯定感が高まります。
すると悩みを解決したいと、具体的なプロセス、行動へと登り解決に向かいます。
つまり悩みを受け入れることは、創造への第一歩となるのです。もちろん進んで悩みを作り出せという訳ではありませんよ笑。
僕は悩みがちな自分が嫌いでした。ですが悩みを多く抱えるということは、それだけ自分の人生をより良くしたいという、そびえ立つ高い山のような意欲の裏返しでもありました。
悩みが生ずるたびに、隙あらば自分をねぎらい自己肯定感を高めてやる。すると創造的な行動力が重なってきています。次第に結果へと繋がるでしょう。
このように思えるようになったのも、センターピースでのねぎらいにより自己肯定感を感じ、自分の悩みを受け入れるようになったからです。
悩み立ち止まることすら自分に許さないような厳しいあなたが、上述したような説得を元に悩みを受け入れてやると、何か活路が開けてくるかもしれませんね。
そうなればこの記事を書いた甲斐があったというものです。
多少強引な理屈で展開しましたが、それも全ては自分の人生に役立たせるため。これも意欲のなせる技です
ハッハッハ。
ちゃんちゃん。
PS.
ご覧頂いた通り犬飼ターボさんのセンターピースを受講しています。
講座を通して得た学びをもとに、僕の過去や現在やこれからの未来について思いを巡らせて、あれこれ頭をグルグルさせてみたり、ガガッと揺れ動く心の様を言葉にして伝えています。
こうして書き上げた記事を通して、センターピースを受講した後の日々の緩やかな変化を擬似体験してもらい、僕と同じように楽しい成長を味わう喜びを感じていただけたら嬉しいです。
もし僕と同じように人生について、何らかのもどかしさを抱えていたり、パンッ!!と弾ける喜びを感じたいと思っているあなたの、ちょっとしたお役に立てればと思い下記に記事をまとめました。ご一読下さいまし!!
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