「日本男児たるもの寂しがること言語道断」という感情の否定に潜む望み:犬飼ターボ センターピース13

皆さんこんにちは。僕は日本男児です。

 

突然のカミングアウトで大変驚かれたかもしれませんね。

 

日本男児である僕には、深く根を下ろしているこだわりというものがあるんです。

 

  • 男たるもの人前で泣いてはいけない
  • 男たるもの逃げてはいけない

 

そして、

男たるもの寂しがるなんて言語道断

という強い否定のこだわりです。

 

男は背中で語るもの軽はずみな発言はいけない、群れることは弱さの証、一匹狼であって当たり前…というのは言い過ぎですが、一人でいることに対して寂しいなと思うことなんて、女々し過ぎていけないと強く思っていました。

 

いま、この記事を書いている僕はこう感じています。

一人でいる時間はたまらなく寂しく感じる時がある」って。

 

そう感じるのは、それだけ誰かと楽しく過ごしたいという意欲の現れであり、過去楽しく過ごすことが出来たという喜びの記憶があることに他なりません。

 

では、「男たるもの寂しがるなんて言語道断」と信じることによって、僕にはどんなメリットがあるのでしょうか?

 

つながりのメンタルブロック

僕はこれまでふと寂しいと感じることがあると、感じないように他の作業に没頭するなどしてとかく目を背けていました。

 

寂しいというマイナス感情を感じないように、別のマイナス感情を生み出して行動するパターンのことを、センターピースではメンタルブロックといいます。

 

寂しいと思うであれば、家族や恋人・友達などとにかく人と会うことで、人とつながりたいという欲求を素直に満たしてやれば言いわけです。

 

ところが僕は、将来理想のつながりを築くためにビジネスに取り組もうとしています。寂しいと感じていたとしても今時間やお金をつながりの方に割いてしまえば、理想のつながりを一切実現出来なくなる。そんな恐怖にグルグル縛られています。

 

だから一人でいよう。寂しさを感じないように焦りからビジネスに取り組むことで誤魔化していたのです。

 

また実際につながりを築こうとしても、過去の痛みの記憶が邪魔をしてきます。人と関わればまたあの時のように辛い思いをするぞって。大したことがないこともありここでは詳しくは書きませんが笑…

 

更に、過去僕が大好きな人たちと楽しい時間を過ごしていた時、心の奥底ではこんな考えが押し寄せてきました。

こんなに楽しい思いをしてしまって良いのだろうか。幸せに値する人間ではないのに。」って。

 

以前にも書きましたが、「僕は不幸になる人間だ」というトンデモなマイナスのセルフイメージがあり、そいつが出ていらんのに出てきて罪悪感を味わう訳です。

 

これら3点から、僕は寂しいと感じても実際にその欲求を満たす行動を取ることは叶わず、生じた感情を感じないように自然とマヒさせていました。

 

マヒさせるのを理性的に正当化させるには、「男たるもの寂しがるなんて言語道断」という言葉がもっともになったわけです。

 

そんなマヒさせていた僕は、どうして素直に見つめられるようになったのだろう?

センターピースで強固になったつながる喜びの記憶

センターピースでのワーク等を通じ、安心感・つながり感・自己肯定感という人間の生存に繋がる本質的な欲求をワイワイ楽しみながらを満たしてきました。

 

自分ひとりではなく仲間の欲求を満たし、また満たされるという愛の循環を経て、共に受ける仲間のことが時間が経つに連れてドンドン大好きになっています。

 

結果講座外でも仲間たちと過ごす時間が多くなってきました。

 

以前であれば仲の良い友達と過ごしていると、楽しい半面罪悪感やら焦りが同居していました。それが今やセンターピースで学んだ安心感を味わうワークをしたためか、仲間たちと時間を過ごしていても焦りや不安が小さくなっています。これはすごい変化!

 

安心を感じられているから、僕は無理のない自然体な関わり方をすることが出来るし、特に頭で考えず勢いそのままに、人を笑わせ自分も笑う時間が増えています。

 

実際に会って過ごしている時間は楽しいし、会っていない間は楽しく過ごしたことを思い出してはクスリと笑みが生まれ、またSNS上でのやり取りではリアルには会っていなくともつながっているような感覚で、つながるってとても楽しいことだなって感じることが増えました。

 

つながる喜びがグングン積み上げられている。だからこそふと一人でいる時に、猛烈に寂しさがブワアアアアっと込み上げてくるとその落差から、もう、寂しい=人と過ごしたいという欲求をマヒでは誤魔化せなくなりました

人を笑わせ自分も笑う時間を増やしたいという望み

「男たるもの寂しがるなんて言語道断」

という否定は今も尚僕の中に深くシュルシュル根を張っています。

 

しかし僕の寂しいという気持ち・感情の裏には、人を笑わせ自分も笑う時間を増やしたいという望みが潜んでいます。

 

恥ずかしくて否定したいと思うことであっても、つながることで誰かの笑顔を生み、それは誰かの喜びになる。そう思えばちょっぴり肯定出来たかなって思います。

つながる喜びの大きさを知っているからこそ、却って1人でいる時間を多くしてしまっていたんだな。

 

 

つながりたいという欲求を満たすには痛みの記憶からマイナス感情が生まれてしまうから、他のマイナス感情から動こうとするこれまでの行動パターンも分かっています。

 

これからはそんなダミーの欲求にも惑わされずに、痛みの記憶を書き換え少しずつ楽しみながらつながりの時間を増やしていけるのかなって、ちょっぴり思いましたまる。

 

PS.
人を笑わせ自分も笑う時間を増やしたいという望みを言語化出来たのは、センターピースの同期である”なっちゃん“のネガポジ統合セッションを受けたからです。

 

自分の葛藤を掘り下げキラキラ光輝く宝物を見つける探検を、なっちゃんの切れ味鋭くもふんわり包んでくれるような優しい質問と、見事なまでのテキパキした思考整理によって手伝ってもらいました。

 

本当にありがとう。

 

PS2.
ご覧頂いた通り犬飼ターボさんのセンターピースを受講しています。

 

講座を通して得た学びをもとに、僕の過去や現在やこれからの未来について思いを巡らせて、あれこれ頭をグルグルさせてみたり、ガガッと揺れ動く心の様を言葉にして伝えています。

 

こうして書き上げた記事を通して、センターピースを受講した後の日々の緩やかな変化を擬似体験してもらい、僕と同じように楽しい成長を味わう喜びを感じていただけたら嬉しいです。

 

もし僕と同じように人生について、何らかのもどかしさを抱えていたり、パンッ!!と弾ける喜びを感じたいと思っているあなたの、ちょっとしたお役に立てればと思い下記に記事をまとめました。ご一読下さいまし!!

 

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