涙を通して気づいた感情の変化:犬飼ターボ センターピース 10

ご無沙汰しています。久し振りのブログ更新ですね。

 

前回のセンターピースの講座をもって、初級を修了しました。

 

どのような学び、気づきが僕に生まれたのか、具体的なことについてはまた折を見て書きたいと思います。

 

前の記事に触れた通り、自分にとっての大切なことが分からなくなってから、僕の頭の中では混乱状態が今も尚続いています。

 

理想に向かって動いていたけれど、行動エネルギーの源泉が理想を実現して得られる喜びを追い求めたものではなくて、得られない恐怖から逃げるためにもたらされていることに気がつきました。

 

CPを通して。

 

パターンに気づいてしまい、理想すらも何かが分からなくなり、どこに向かって他にどう動けば良いのか分からなくなって混乱しました。

 

この混乱を一つ一つ紐解いて、クリアになってからまた振り返られるといいなーって思います。

近いうちに来るその時を楽しみに、今はまだ渦巻く混乱に揉まれておきます。

 

本当に大切なことを大切にするために。
CPを通して得た愛を熟すために混乱が訪れているのだと信じて。

 

さて今回は、

ひとつ、僕に生まれている変化について触れたいと思います。

 

その変化とは、

初級の最終日から涙が目に浮かぶようになったことです。

 

どちらかというと僕は泣上戸でした。子どもの頃から。泣きぼくろがあったからね笑。

 

ところがいつしか涙が出なくなっていました。
また昔僕はどんなことで涙を流していたのか、思い出せなくなっていました。

 

直近で覚えていることといえば、

周りの人にたくさん迷惑をかけて悲しませたり怒らせたり失望させたり

お門違いな怒りや卑しさを人に向けてしまったり

そんな自分が嫌いでどうにかしようとあれこれ試みても失敗しかなくて

どうにもならないことにただただ翻弄されるしかない現実と延長線上の未来に打ちひしがれて

 

もう、

苦しさにたまらなくなって涙が出るしかないような状況でしか流せませんでした。

 

 

しかし今回の涙は、性質の異なるものでした。

 

会場に向かうまでの車内のかけあいや、仲間の皆んなと楽しくワークをワイワイこなしていく楽しさ、

何か我慢しているような僕の様子をずっと気にかけて心配してくれる仲間の思いやり、

 

といったプラスの感情が僕にもたらす喜びを味わうと、思わず涙が浮かぶようになりました。

 

これにもまた戸惑っています。

 

こんなに嬉しくて、楽しい喜びを味わうに値する人間なのかと、感じることを許可してしまっても良いのかと。

 

そんな葛藤の中でも喜びの記憶を辿るだけで、ジワァと涙が目に浮かんでくるのです。

 

不思議な心地。

 

とはいえ大粒の涙がドッと溢れ、頬をつたってくるほどではありません。

 

ですが確実に何か変化がムクムクと僕の中で芽生えているのでしょう。

 

今は言葉で上手く伝えられない。

 

ただ変化が起きてるよ!ってことをここに記しておきます。これから受ける中級でまた大きな変化が起きるのでしょうね。

 

今回はここで、
おしまい。

PS.
ご覧頂いた通り犬飼ターボさんのセンターピースを受講しています。

 

講座を通して得た学びをもとに、僕の過去や現在やこれからの未来について思いを巡らせて、あれこれ頭をグルグルさせてみたり、ガガッと揺れ動く心の様を言葉にして伝えています。

 

こうして書き上げた記事を通して、センターピースを受講した後の日々の緩やかな変化を擬似体験してもらい、僕と同じように楽しい成長を味わう喜びを感じていただけたら嬉しいです。

 

もし僕と同じように人生について、何らかのもどかしさを抱えていたり、パンッ!!と弾ける喜びを感じたいと思っているあなたの、ちょっとしたお役に立てればと思い下記に記事をまとめました。ご一読下さいまし!!

 

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