年末年始休暇皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
参拝して2018年も良い1年となるよう祈願したり、家族と一緒にお節料理を食べたりして団欒を楽しんでいたかもしれませんね。
さて僕はというと、過ごし方に”ある誤算がありました。
ある誤算
それは、
僕はハマっていたんです。
何に熱中していたかって?
そのハマるじゃないんです。
ハマっていたのはパターン。それも望ましくないパターンでした。
大晦日に2017年を振り返り、元日には目標設定を行いました。
ここまでは良かったんです。ここまでは。
振り返りや目標設定なんて序の口。部屋の片付け、筋トレ、復習、その他ワークなど休暇にも関わらずバリバリモリモリ取り組むつもりでした。
だってやりたいことが沢山あって集中的にやれんのって、こういう長期休暇しかないもんねぇ。サラリーマンは。
ところが、
やりたいことが沢山あって予定に詰め込んだのは良いものの、
休暇中に処理するという期限を設けたことで、
やりたいという意欲から、やらなければならないという義務に転じたんですね。
義務になっちゃうと僕のような気分屋はもうダメ。
本来楽しんでやることが苦痛でしかなくなる。そうなるともうイヤダーと投げ出したくなっちゃうので、本末転倒で終わってしまう。
そう僕がハマっていたのは、あれもこれもと詰め込みすぎてやる気が失せるパターンでした。
やりたくないときは無理してやらない。過去上手く回復したパターンを思い返し、潔く休んでリフレッシュすることにしました。
すると気分が再び上がり、意欲が戻ってきたので、ちょっと考えてみることに。
「はて?今回は普段出来ていることがどうして出来なくなったんだろう?出来ているときと出来ていないとき、何か違いはないだろうか?」
頭に浮かんだものを制限なく書き出してみると出てきたのがこんなもの。
書いていて、あれれ?って思ったのが、
やろうとしていた行動やその内容というよりもむしろ普段の生活リズムの方が影響を及ぼしているんじゃないの?っていう疑問が生まれたこと。
ということは、
僕が次に同じ事態を招かないためには、生活習慣をいかに乱さないかがポイントになります。
同じことをし続けていれば、当然同じ結果に行き着きます。
逆にいうと、違う結果に行き着いたのであれば、何か違うことをしたということになります。
何をすれば自分にとって快となり、不快という結果になるのか。
自分の快不快に意識を傾けて、もたらしたものをきちっと言葉にして理解する。それを自分取り扱い説明書が出来るぐらいまで笑。
理解して意識的に自分にとっての快を取ってやることが、自分を大切にするということに繋がるんじゃないでしょうか。
調子を崩したときその経験を生かして次に役立てようとする姿勢は、ここ数年で大きく変わった点。自分を大切にしだした証拠なのかなぁとしみじみと感じてこの記事を締めくくります。
転んでもタダじゃ済まさない。
おしまい。