最上の喜びしか認めない価値観と相反するマイナスのセルフイメージの素となった体験:犬飼ターボ センターピース 4

僕が受講している犬飼ターボさんのセンターピースの前回のテーマは、自己肯定感でした。

 

実は受講直前の1週間で、人生で繰り返し起きている”2つの劣等感”に打ちのめされる出来事が、立て続けに起こりました(まるで図られたかのように!!)。

 

今回はその劣等感の内の1つ、

 

恋愛から根付いた僕を縛る1つの価値観と”とある”セルフイメージについて触れていこうと思います。

 

現在から過去の事例に移り、得られた解釈を元にまた思考を進める。あちらこちらへビュンビュン飛び回りますが、何とかしがみついて(笑)読み進めてくださいね。

 

ある男の根深い”こじらせ体験記”。恥部です恥部、これは…。恥ずかしいので温かい目でご覧くださいまし。

 

それではどうぞ。

 

繰り返されるセルフイメージの証明

2019年6月某日。僕は前職で、2人3脚でやってきた元同僚である女性の結婚式のパーティーに参加しました。

 

わずかな期間でしたが、元同僚の思いやりのある人柄に惹かれ、思いを寄せていた時期があったんです。

 

しかし当時激務を捌くのに必死で仕事だけでなく、家族や健康面など様々な問題への対処でいっぱいいっぱいでした。その状況に加え、元同僚にも恋人(新郎)がいたため、淡い物語が花開くことなくパラパラと枯れてしまいました。

 

今はもうそんな気持ちはありません。とはいえ激務を2人で支え合い、乗り越えてきたのでパーティーに呼ばれたりするなど友情関係は継続しています。

 

パーティーが始まり新郎新婦が入場し、僕も含め皆がパチパチと祝福しました。新郎の方も爽やかで人が良さそうな印象を持ち、「良い人と結婚したなー」と、とても嬉しい気持ちになりました。

 

ところがどっこい、その後、僕の人生を通して、繰り返し繰り返し流れている言葉がフッと浮かんできました。

 

 

「たぶん僕だったら無理だったなあ。あんな風に笑顔にしてあげるのは。」

 

 

すると、重苦しい気持ちが急にズシッと全身にのしかかり、照明も暗くなり、外界から切り離されたように感じられたのです。

 

「原因は何だ?未練がましく思っていて、喪失の悲しみか?」

いや違う。過去繰り返し繰り返された、自分のことを劣位に置く考えが頭を占めたからだ。

 

その考えのルーツを辿ると、行き着くのは小学生時代。

 

当時の記憶がフラッシュバックしただけでなく、20年近くも”とある”セルフイメージが繰り返し証明され続けている人生に、

 

空恐ろしさと、先が見えないトンネルのような途方もない無力感が押し寄せたからだ。

最上の喜びを求める価値観とマイナスのセルフイメージ

上述した小学生時代。6年生の頃かな?僕は失恋しました。

 

その女の子のどこが良かったかとかは覚えていません。そんなもんだと思います。

 

当時確か僕とその子は良い感じで周りからもヒューヒューと煽られていたような気もします。

 

ただただ楽しかった。毎日が喜びの記憶で作られていった。その子と話しているときは、周りから音は消え、他の景色もきちんと入ってこない。鮮明に映るのはその子だけ。そんな感覚だったと思います。

 

しかし(しかしの後は、悪いことばかり書くので嫌だなあ笑)です、

 

幸せな毎日は続かなかった。強力なライバルが出現したのです。

 

僕は少年野球をやっていて朗らかな男の子でした。

 

ライバルは当時少年野球をやっていたチームメイト。キャプテンを務め、勉強も出来て正に学校の花形的存在です。

 

6年生のとき、3人ともに同じクラスでした。
クラス替え当初はそうでもなかったけれど、その女の子とキャプテン君が次第に仲良くなっていくのが傍目にも分かりました。

 

そして女の子から相談を受けます。

 

「キャプテン君のことが好きだから応援してほしい」

 

覚悟はしていた。でも敗戦と分かっているのに、気持ちを伝えられるほど強くはなかった。かといってまだその子のことが好きだったので、無下に断ることも出来なかった。それからはちょくちょく相談を受けたり、橋渡し的な役割を担うことになっていきました…(泣)

 

そんな僕には、今も色濃く記憶にへばりついている出来事があります。

 

学校の休憩時間ではドッジボールという遊びを男女仲良くやっていました。ドッジボールといえば、色んな人にボールが行き渡るゲームです。

 

ですがおかしいのです笑。

キャプテン君と女の子が2人キャッチボールのように何度も投げ合っているじゃないですか。その姿を見ていると、そして気休めにこちらにボールが行き渡ると張り裂けそうな気持ちに襲われたのは覚えています。

 

そんな光景を目にしては、カーカーカラスが泣く中、失意の底で1人トボトボ下校する。毎日打ちのめされていました。するといつしか、僕は自分のことをこう考えるようになりました。

 

「僕は意中の人から選ばれない男だ」

マイナスのセルフイメージ誕生の瞬間である。

 

僕とキャプテン君は昔からずっと仲が良く、よく皆で遊んでいた。人柄が分かっていて、とても良い子だと認めていた。運動神経も抜群(※小学生ではここが特に重要)まさに魅力の塊のような子だ。

 

一方で僕はどうだろう?朗らかだったけど、運動神経は良いとは言えず野球も下手くそだった(唯一補欠)し、あらゆる分野で劣っていると(ように)思えた。

 

だから選ばれなくて当然だ。怒り、悲しみの矛先が、罪悪感や無力感から自分に向けられてしまったんですね。※当時の家庭の状況も相まってか罪悪感の華が心に植えられていて、それが一見魅力に映るから、負けん気よりも自分の至らない所に目が向いてしまうのでしょう

 

矛先を自分に向けることでしか、幼き頃の僕の頭では納得出来なかった

 

僕は選ばれるに値しない男だ。それでも、それでも尚失恋するまでは楽しかった。だから次もまた、この楽しい気持ちを味わうために走れ。それ以外は無価値だ!失意から立ち直るには、そう思うしかなかったのです…

 

最上の喜びしか認めない、0か100かの思考、価値観が誕生しました。

 

意中の子と過ごすことで得られる最上の喜びのみ追求する価値観、すなわち0-100思考と僕は選ばれない男だというマイナスのセルフイメージが、こうして形作られた。時としてジレンマという形で現れ人生に大きな影響を及ぼしています。

気付いた悲劇と覆すためのヒント

舞台は戻り、現実に。

小学生の頃に形作られた価値観に基づいて、今も尚”僕は選ばれない男だ”というセルフイメージを証明し続けている現実に、パーティーをきっかけに過去を振り返ることで気付くことが出来ました。

 

しっかしそれにしても…

なんたる悲劇だろう!

 

当時、あまりにも嬉しい楽しい毎日であったが故に0-100思考が生まれ、0の悲しみが大きすぎたが故にマイナスのセルフイメージが植え付けられてしまった!!

 

相手を憎めればどんなにラクだっただろう?でも出来なかった。友人のキャプテン君のことが好きだし、当事者たちの気持ちをおざなりにしたお門違いとなるからだ。

 

だから自分を憎み劣位に置くことしか出来なかった。そうした痛みを抱えながらも、価値観が喜びを実現させようと、僕にムチ打つ。

 

そしてマイナスのセルフイメージを持つが故に、満たすことは叶わず、よりイメージが強固される。

 

中学生、高校生、大学生、社会人と年齢を重ねても、

 

涙すら流せないマリオネットのように、価値観に操られセルフイメージを踊り続けている現実。

 

操っている演者、価値観もまた同じく涙を流したくとも流せず、止めたくても止められないのだろう。

 

最上の喜びに向けて価値観が僕に実現しろとムチ打つが、意中の人に選ばれないというセルフイメージが僕に1歩踏み出す勇気を出させない。うーん…これは、とんでもないこじらせだ笑。

 

とても愚かしいことだと思いませんか?僕はそう思います。でも、どうしようもないのです。頭では分かっていても!

 

過去の敗戦から、意中の子にしか眼中がないようになった0-100思考という価値観は、あらゆる方面で執着という形で現れるようになりました。

 

これが恋愛関係だけならまだ良い!(良くはないが笑)。他の方面にも気まぐれに顔を覗かせるからタチが悪いのです。

 

まるでひょこっと顔を出し、気まぐれでトンチンカンな指示を出す上司に振り回されるような感覚です笑。重要な局面であればあるほど顔を出してくる!

 

例えば次回少し触れようと思っていた新卒の就職活動もそうです。こことここしか行かない!その決断が後々、エラい目に遭い、自分だけが劣ると思うようになったり…

 

家族関係も楽しい記憶があるからこそ、そうでない現実に耐えられなくなって、バランスを保つようになったり。

 

自分の内側で最も喜びを感じることが、外側の出来事に左右されていました。それを得られなければ意味がない。自己肯定感が下がり、こうして痛みの感情から動く崖ルートが馴染むようになりました。

 

僕の課題は、幸せが何によってもたらされるかを区別することだと思っています。外側への執着によってか、内側の喜びを感じることによってか。

 

その違いについては、まだ頭が混乱しているので出来ませんが、恐らくセンターピースを受けていくに連れて出来るようになってくるでしょう。きっとそのために受けているのでしょう。

 

100点以外認めない受け入れられないではなく、50点から60点に、60点から70点に、点数を増やしていく過程で喜びを見出すに連れて。

まとめ

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

 

こうしてブログを書いて自分の内面へ切り込んでいくことで、今まで無意識で繰り返していたことを顕在化させることが出来ました。

(うん凄い!気付くことで、改善に役立てることが出来るから素晴らしい!!)

 

このブログを書くという作業は、いわば下ごしらえのようなもの。センターピースでターボさんやトレーナーさん、同期達と楽しみながら調理します。調理するにもこうして具材を揃えとかないとね!恥ずかしい内容でも、でぇい!!と公開するのも調理するためです!!

(凄い!楽しみながら乗り越えようとする意欲!素晴らしい!!)

 

過去の事例を振り返ることで、今も尚判断基準となる価値観とセルフイメージが根深く僕を縛っていることが分かりました。

 

しかしスルスルと紐解くことで根本が分かり、様々な打ち手を取ることができます。きっと僕はピシッと打てるでしょう。

 

という訳で、強い劣等感の内の1つをこのような事情で受講前に抱きました。ひどく動揺したとき、タバコに逃げてしまういつものパターンにもハマりました(申し訳ありません)。そうやっていっぱいいっぱいだったのだなあと今は思います。

 

あ、そうだ!第一回の講座でターボさんが(ざっくりと)このように仰っていました。

 

「センターピース中の出来事は人生の縮図で、いろいろなことが起こります。あなたが人生で繰り返し体験しているパターンです。」

 

自己肯定感というテーマ直前に、繰り返し起きている大きな劣等感を感じる出来事が起きました。正に人生の縮図、身をもって体験しました。

 

本当に何かに導かれているようで、驚きます笑。捉え方を変えよ!そういうメッセージだと今は捉えています。

 

今後価値観とセルフイメージがどのように様変わりするのか。今から楽しみですね。

 

次は、もう1つの大きな劣等感を感じる出来事。僕だけが劣っているというセルフイメージを切り口に書いてきます。そのセルフイメージの裏側にある僕のピュアな思いについても。

 

そして次の次くらいかな?出来れば、この2つの劣等感という沼から抜け出せた出来事にも触れられたらなと思います。

 

お楽しみに。

ちゃんちゃん。

 

PS.
ご覧頂いた通り犬飼ターボさんのセンターピースを受講しています。

 

講座を通して得た学びをもとに、僕の過去や現在やこれからの未来について思いを巡らせて、あれこれ頭をグルグルさせてみたり、ガガッと揺れ動く心の様を言葉にして伝えています。

 

こうして書き上げた記事を通して、センターピースを受講した後の日々の緩やかな変化を擬似体験してもらい、僕と同じように楽しい成長を味わう喜びを感じていただけたら嬉しいです。

 

もし僕と同じように人生について、何らかのもどかしさを抱えていたり、パンッ!!と弾ける喜びを感じたいと思っているあなたの、ちょっとしたお役に立てればと思い下記に記事をまとめました。ご一読下さいまし!!

 

↓↓↓

 

記事一覧はこちら