趣味であれ、何であれ、何かを始めようにも中々取り組めないことはないだろうか?
「やったとしても続けれるかどうか分からない」
「続かなかった自分と向き合いたくない」
あれこれ考えてしまい腰が重いことがある。
そのような人に向けて、つべこべ言わずにまずやれるための考え方について書いてみる。
確かにブログであれフォトリーディングであれ、21日以上連続して取り組むことで、抵抗感がかなり薄れてきた。息を吐くようには言わないまでも、苦に感じることはほぼ無くなったと思う。
しかしこれを1年2年、10年と続けるのは極めて困難だ。
時間は有限であるだけに、取れる行動にも制約が生まれる。どんどんとやりたいことも出てくるだろう。人の行動は優先順位によって変わるし、その優先順位もまた変わるからだ。
決して長期間とはいえないけれども、僕はブログを習慣化出来ていたといえるだろう。
毎日書けていたときは、頭の中のモヤモヤを言葉に置き換えるのにはさほど苦に感じなかった。しかしブログを書くことの優先順位が下がり、次第にブログを書かなくなった。
すると当然言葉に置き換える回路を使わなくなってしまう。
回路を使用しなくなってから半年以上経過し、改めてその回路を使おうとすると以前のようにスイスイと機能せずに愕然とした。
「前はあんなに出来ていたのに…」
悔しいというか、”失われた”回路に対してショックを受けている。
現に今、こうして記事を書いていても思うように書けず、半ばムカムカと苛立ちを覚えながら書いている状態だ。
それでも僕は思う。
”一度作られた回路は失われていない。”
確かに以前のようにはいかない。けれど使い続けるに連れて、前の感覚が呼び戻されているのを確かに感じている。
自転車なんかは典型的ではないだろうか。
一度乗り方を覚えてしまえば、二度とは忘れないだろう。例えどれだけ期間が空いたとしても。
また僕はここ1年ほどサックスを始めた。音楽経験は全く無いので、思うように吹けない。習慣化出来るほど毎日ブーブー吹かないので、一向に上達しない。
そんな状態なのに、吹く期間を半年以上も空けることもある。
にも関わらず、少し吹けば前と同じように吹くことが出来た(当然目くそ鼻くそレベルだけど)。
これらの経験から、
すぐに止めても良いから、まずやってみることが大事
と声を大にして言いたい。
やったことは無駄にならないし、再開するとすぐ同じように出来る。また上手く行けば儲けものだし、取り敢えずやってみたら大丈夫。
そんな考え方に今は切り替わっている。だからこそまずやってみることをオススメしたい。
「まぁやってみるか」と1歩目を踏み出すのが、何事に対してもどんどん軽やかになっていくだろう。
おしまい。