休日の昼下がり、無性にラーメンを食べたくなって店に入った。
休日ということもあり、そこそこ店は混んでいた。
熱々の唐揚げも食べたいと思って、唐揚げ定食を注文することにした。頼んでから待つこと20分。一向に提供される様子がない。
それどころか僕より後に入店した人にどんどんラーメンが提供される始末。
キョロキョロ周りを見渡していると一度オーダーを確認した店員が、もう一度オーダーを確認してきた。
「お決まりですか!?」
内心ドツいたろか!と怒りを感じながらも抑え、「先程頼んですけど」って伝えた。
店員も思い出したらしく、「すいません。すぐに手配します」と謝罪の上取り掛かってくれた。
きちんと謝罪してくれたので良いものの、それでも内心はザワザワとするもの。
せっかくの休日なのに、このザワザワを抱えたまま過ごすのも嫌だったので、このザワザワの奥底を覗いてみることにした。
カチンっと頭にきたとき
次に生じるのは大抵怒っちゃダメだと自分を抑え込む考え。
でもこれって自分の気持ちを否定することになる。
過去の経験上抑え込まれた感情は、腹痛などの別の形で体に異変を起こしてしまう。
だからまずは気持ちに寄り添うことにした。
ってな具合に。
湧き上がる感情そのものを肯定してやると、その気持ちの存在を認められたからか、不思議と後まで引っ張られなくなった。
次にどうしてカチンと来たのかその理由について考えてみた。その時に「ツイてる!」とつぶやきながら。ツイてるとつぶやくことで、次の記事のようにその理由を探そうとした。
そもそも食事の後には用事があって、元々そこまで時間に余裕がなかった。
早く食べて向かわないと遅れるかもしれない。オーダーが通っていないことで、遅れる可能性が高まった。
どうしてもどうしても間に合いたい!怒りの裏にはそんな強い意欲があった。それだけ後の用事を楽しみにしている自分に気がつくことができた。
他の人のオーダーが通っているのに自分だけが通っていない。
もちろん人間だからミスは付きものだし、混雑していたから尚更ミスが起こりやすいことも頭では理解できる。
だけど、僕だけが通っていないのは、僕という人間を軽んじて尊重していないからだと感じてしまった。
きちんと対等に尊重してほしい。驚くことに自分にはその気持ちを強く持っていることに気が付いた。
そんなことで何を驚くの?別に普通でしょ!って思うかもしれない。
けれど何かにつけて、自責をする傾向にある人間が、本当は自分のことを尊重して欲しいと思っているとは中々気づくことができない。
そうだ!僕は自分という人間を尊重してほしい。
本心に気が付いたとき、自分への愛を確認させてくれたオーダー漏れに対して、不思議とありがとうという感謝の気持ちが芽生えた。
このオーダーが通っていない出来事は、本当にツイてる出来事となった。
ちょうどその時、提供されたラーメンをブスっと不機嫌で食べること無く、美味しく頂くことができた。
出来事に対してどのようなフィルターを付けるかで意味付けが大きく変わる。そんな貴重な体験ができた。
もちろん全てがこのように捉える事ができず、感情に流されてしまうかもしれない。
でもこのものの見方を採れば、180度出来事の印象が変わってしまう。それさえ知っておけば、出来るときはそうし続ければ、人生が変わっていくだろうと思う。
結局時間内に次の用事には間に合い、言うことなしの1日を過ごすことができたとさ。
おしまい。