ここ数年ずっと感じていたこと。
歳を重ねるに連れて人見知りというか、人との間に壁を作ることに拍車がかかってきた気がする。そしてそんな今の付き合い方・振る舞い方を見直そうと思う。
僕の好きな作家ひすいこたろうさんの「人は長所で尊敬されて、短所で愛される」という名言が、そう思ったきっかけだ。
僕はこの言葉を聞いて凄くドキッとした。
なぜなら人に短所を見せまいとして、必死でもがいていた。だから深く繋がることが難しくなってるんだと指摘されたような気がしたから。
僕は社会人になってから、知り合った人に対しては丁寧な物腰で接するようになった。常に肩肘張って、「もっと肩の力抜きなよ〜」と言われてしまうぐらいに。
他の人から見て明らかに力が入っているのが分かるくらい、無礼があってはならないと気を張っていた。
そこまで気を張るのは、過去の経験上気を遣わなければ人を怒らして、嫌われてしまうと思い込んでいたから。
人を怒らせてしまうと、そんな自分はダメだ!と更に自分で自分を責めてしまう。それが続くとあまりに苦しくなってくるので、避けるためにも丁寧な対応を心がけ、自分を守ろうとしてきた。
面白いことに、これがまた落とし穴でもあったんだよね〜。
人を怒らせてしまうという自分の欠点を補うために取った行動が、人と距離を開き打ち解けることが出来ないという新たな問題を引き起こした。
人ともっと打ち解けるためにも自分を出したい、でも怒らしたくないから自分を出せない。ここ数年はそんなジレンマに陥って抜け出せずにいた。
そんな状況を打破するために、投げかけた問いは、
「では、どうすれば良いんだろう?」
色々調べたりしても答えが見つからない。となるとまた別の問いを投げかけてみた。
「全て思いのままであれば、本当はどうしたい?」
全てが思いのままであれば、一見ありえない前提だけど発想を引き出すには丁度いい。
出てきた答えは、
「気を遣わない(※尊重しないということではないよ!)ふるまいをして、それでいて楽しく深く繋がれるようになる」こと。
僕が取る対応は、以前と同じ気を遣わないものに戻すことになる。でも単に戻すだけなら結局は同じ問題を引き起こしてしまう。
というわけで、そもそもの前提を変えることにしてやった。
今の前提:皆から嫌われることのない素敵な人になり、皆と付き合う。
これからの前提:短所も長所も気にせず自由にふるまい、そこを好いてくれる人と付き合う。
思い返せば、今でも懇意に付き合っている友人と付き合う際には、これからの前提がベースだったように思う。
もちろん全ての人と仲良くなれたわけではないし、それどころか衝突することが多かったように思える。それでも尚、そんな自分と仲良く付き合う友人がいる。その人達とは互いに長所も短所もさらけ出してきた。
しっかりと自分を出した方が、却って良い関係を築けるんだよね。
どういう自分でいて、どういう人と関わりたいか明らかにしておくことって、ふと迷ったときに戻ってくるためにも大事だと思う。僕は、
短所も長所も気にせず自由にふるまい、そこを好いてくれる人と付き合う。
皆から嫌われないためがベースではなく、自分らしく楽しく過ごすにはをベースに。
だからもっともっといい加減で、無礼なことも多々あるかもしれないけど、良い所も悪い所も含めた自分を出していこうと思う。好かれても嫌われてもオッケーを出す。
全ての人から好かれることもなければ嫌われることもない。そう思うと自分の理想の人間関係のために、もっと楽にやっていける。
もちろん衝突することがあると思うし、苦しくなることもあると思う。そこに向かって歩いていくのも怖いと思う。
それでも一歩踏み出すためには、普段から自分をほめておくことが、行動の支えになってくると思う。やってて良かったほめほめワーク笑。