僕にはある苦手意識があった。
それをすると誰かから叱責を受けたり、恥ずかしい思いをしてきた。
そんな苦手なこと。
それは質問をすること。
自分が分からないことを他の誰かに尋ねること。たったそれだけのシンプルなこと。
なのに質問をすると怒られている自分、無知をさらけ出している恥ずかしい自分を受け入れられず、質問することに苦手意識を持つようになってしまった。
目次
社会人になって仕事をしていると、分からない物事に直面し、仕事を進めるためにどうしても質問をしなければならないケースにたくさん遭遇する。
こう見えてもそれなりにちゃんと仕事をしたいという気持ちがあったので、もちろん上司に尋ねることになる。
が、
僕「あのー問い合わせのあった○○の件で、資料を作ろうと思います。そこで▲▲の背景について伺いたいんですが…」
上司「なんでそんなんも知らんねん。そんなんでな、お前担当として○▲☓!!」
このように突っぱねられたり、嫌味?を言われたりすることがめーっちゃいっぱいあった。
繊細でか弱く可愛らしい?僕にとって、それはそれはキツイこと笑。
次に質問をしたい状況に直面したとき、
「あ…また同じようにクドクド言われ、嫌な気持ちになるから質問したくない」
と自分を守るため、質問することに心理的な抵抗が生まれちゃう。
そういったことが続くといつの間にか質問することそのものに対して、”難しいこと””痛い目に遭う”という悪い意味付けをしてしまっていた。
質問は難しい。そのように意味付けをしたとはいえ、疑問そのものが生じることには変わりない。
質問しなければ、当然疑問は解消されることはない。けれど質問すると痛い目に遭う。ジレンマに陥りながら質問出来ないモヤモヤ悶々とした日々だけが過ぎていった。
どーにか質問出来るようになりたい!!そんな意欲だけはあった僕は、いつしか質問に対しての意味付けを2つの良いものに変えていた。そうすると驚くことに質問出来るようになっていた。
質問すると痛い目に遭うから難しい。僕は質問が出来ない。そんな自己認識にあった僕は、衝撃的な光景を目にした。
以前から受講している本田晃一さんの動画セミナー”世界一ゆるーい幸せの帝王学”でのこと。
セミナーでは質疑応答の時間があって、ある受講生が晃ちゃんに質問をするんだけど、その内容がめっちゃフリーダム。
これまでのセミナーの内容を踏まえた質問だったら理解出来るんだけど、全くもって脈絡のない内容で、
それを見て僕は「その質問全く関係ないやろ」「どんだけテキトーな質問してんねん」と内心イライラしながらも、気後れせずに質問出来ている受講生に嫉妬していた。
「僕なんかそんな質問したら総攻撃くらうから我慢してるのに〜」って。
しかし晃ちゃんはそんな質問に対し、
笑いながら答えていた。
驚くことに質問の答えから更に話が展開し、思いがけないタメになる話を聞けることが多々あった。
このことから、質問をすることで思わぬ収穫を得られることもあり、尚且つ他の聞いている人もその恩恵を授かることが出来ることに気が付いた。
いくら話の展開にそぐわない質問であっても、質問するかどうかはその人の自由にある。
僕は1度突っぱねられた経験から、他の全ての人も同じく突っぱねるに違いないという誤った思い込みをしてしまった。
しかしセミナーを見ていると、晃ちゃんは唐突な質問にも笑いながら答えている。
答える側もまた、答えるかどうかはその人の自由にあるのだ。
質問するかどうかは質問する側の自由にあるし、答えるかどうかは答える側の自由。
答えてくれない人に対してはしなければいいだけの話で、答えてくれる人に対してはどんどん質問していい。
全ての人に選択権がある。そう思うと質問することに恐れがなくなった。
質問を難しいという悪い意味付けから、他の人の恩恵に繋がり、各々が選択権を持つという良い意味付けに変えた。
そうすると質問をしたいと思ったら、特に抵抗なく出来るようになってきた。
僕はいま心理療法家矢野惣一さんが講師を務める問題解決セラピスト養成講座を受講している。
決して安くはない金額を払い、興味があるテーマを学びに来ている。だから質問はどんどんしよう。そのように意を決し、ほぼ毎回挙手して質問をしている。
ある時、アシスタントの方々から思いもしないことを伝えられた。
「良い質問するよね。」とか、「良いところに気が付きますよね。」って。
なんと、褒められてしまった!!
すごくない?
質問すると怒られたり、恥ずかしい思いをしていた僕が、質問をしたことで褒められたのだ。
とりわけ質問する内容を工夫している訳でもない。ただただ質問に対する意味付けを変えただけ。
それだけで質問出来ない人から良い質問をする人に変わっている。
この経験から、質問出来ないと悩んでいる人は、質問に対する意味付けを変えてやることをオススメする。
この人は質問出来てるなーって人を見て、質問するとこんな良いことがあるって自分なりに意味付けをする。
そうするといつの間にか質問出来るようになってるよ。
おしまい。