僕たちそれぞれに庭がある。ここでいう庭とは、どのように感じて、何を行うかの選択する自由だ。
人それぞれにそんな領域、庭があって尊重していきたいと思う。
悲しいかな。人間だから他人の庭に土足で踏み込んだり、踏み込まれたりすることがある。
踏み込む人には色んな理由があって踏み込むんだと思う。その人信じてるものが最上で、そうした方が他の人のためになると思っていたりする場合とか。操りたい場合とか。
以前の記事では、強要する人は有り得ないと思っていて、ゴルフの強要がしばしばあると書いた。
昨日も同じく強要にあって、強要を正しい、正しくないで判断せずに分類のイメージで対応した。ところが苛烈さが一層増してきたので、自分の庭を守るために他の手法も併せて採った。
その手法とは、受け取りたい気持ちだけを受け取り、不要なものを排出することだ。
イメージでいうと、クジラなどが餌を食べるときって、一旦大量に取り入れて、不要なものはブシュ~って吐き出すよね?あんな感じ。
ゴルフの強要にあうときは、こんな感じだ。
とか大体このパターンの一辺倒。
その度に僕は、
「また始まったよ…」とか「皆やってるからやりなさいって子どもじゃないんだから…」とか「思わずゴルフがしたくなるような他の方法で誘えばいいのに…」とか「ええ加減しつこいねん。やかましいわアホンダラ」って思ってた。
そうすると強要の度にネガティブな感情を抱いてしまう。またどうして分かってくれないんだ!いい加減分かれ!とこちらも相手の庭に土足で踏み込むような事態に陥りかねない。
これでは気持ち良く過ごせないので、その裏側にある受け取りたい気持ちだけを受け取ることにした。
これって僕に対する一種の愛情だよね。あぁこんなに思って伝えてくれてるなんて嬉しいなーって気持ちだけを受け取る。その他の強要してる事実だとか、他に迎合しろとかザワザワするものについては排出する。
そうすると強要後の後味が、ザラザラしたものから心地良いものに変わってくる。
自分、ひいては他人の庭を尊重するためにも有効だ。
今後強要の苛烈さが益々増してくるかもしれない。だけど僕は自分の庭をピカピカにキレイにして守りたいと思う。そのためには庭を守る力、すなわち断る力が必要になってくるだろう。
自分の手持ちの手法を増やす良い機会だと捉えて、断る力を近い内に学んでみようと思う。
おしまい。