​ブログを書く目的は、自分にしか持ち得ない漠然とした気持ちをクッキリ掴むためにある


僕がブログを書く目的は、自分にしか持ち得ないモヤモヤ~っとする漠然とした気持ちをクッキリ掴むためにある

書くテーマというかジャンルは、日々感じていることや学んだことをどう活用しているかについてのシェアが多い。

これは自分がそのテーマについて書きたいから選んでいる。

書いていて楽しんではいるが、難しく感じることも多い。

何故か?

それは今までに書いたことのない性質のものを書いているから。

普段仕事でも書くシーンは多い。商談報告書であったり、取引先とのメールが良い例だ。

これらの文書を書くにあたって共通点がある。

それは結論や、結論を伝えるための構成がほぼ決まっていることだ。パズルのピースが用意されていて、パチパチとはめ込むだけの作業に近いと感じている。

だけどブログは違う。

今日は何を、どのように伝えるか。パズルの完成図から各ピースまで一から設計するようなもので、仕事で書く文章とは性質が全く異なる。

この違いが書くことの難しさを感じさせている。

そんな難しくも感じる文章を書き終えた後には、満足感や爽快感が味わえる。

この気持ちは何よりも代え難いもので、やり切った達成感とはまた少し異なる。

モヤモヤとしていた漠然とした自分の気持ちに、言葉でハッキリと形にしたことによるスッキリ感というのがしっくり来る。

僕にとってのブログを書くことのイメージは、奥底にあるハート(気持ち)に言葉というスポットライトを当てているような感覚だ

この感覚を上手く表現されている文章を先日見つけた。

ほぼ日刊イトイ新聞に連載されている山田ズーニーさんの大人の小論文教室のプロローグにあった。

 考えないって、自由じゃない。

 考えないのは、
なんにもとらわれない、自然・天然の状態ではなく。
体内にインスピレーションのベンピを起こすこと。
そんな自分をほっといてくれる世の中じゃなく
テレビから、新聞から、口当たりのいいコメントが
じゃんじゃんあびせられるので。
「何か、私の言いたかったことに似てるカモ?
ちょっと違ってるようだけど、
そのへんでいいカモ?」
そうして2・3日後には
ずいぶん遠くへ流されてしまって、
身の内にあった、最初の印象が何であったのかさえ
忘れてしまいます。
それは、世界でたった一人、
自分という存在しか持ち得ない、
明日のお宝だったかもしれません。

自分の言いたかったことをズバリと書かれているのを見ると、やられた~先に宝を奪われたーとちょっぴり悔しく感じちゃう。

自分にしか持ち得ない宝をじゃんじゃん得るために、これからもブログを書いていくやろう。

おしまい。

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