ただ今やられています。
不定期に訪れる無気力・ガス欠キャンペーン中です。
おまけに扁桃腺も腫れ上がり、絶賛体調不良中。
常日頃あれもこれもやらなくちゃ!という気持ちが強い僕に、
時折こうした無気力の症状が現れ、焦りが更に強まります。
以前までの僕なら、
あれもこれもしなくちゃならないのに、どうして気力が湧かないんだろうと自分責めの材料に使っていました。
ところがここ最近は、「あー無気力来たか。しゃーないな。」と割り切れています。
どうして割り切れるようになったのかというと、
僕はこの無気力・ガス欠期間には終わりがあり、期間後には果実がもたらされると知っているからです。
まず前提として過去を振り返ったことによるんですが、
これまでの僕の人生は間違いなく右肩上がりなんですね。
途中山や谷があります。それでも必ず右肩上がりである。
これを知っておくと、今は無気力・ガス欠という谷に入っていたとしても、
必ず抜け出し山の期間に入ることを確信出来るんですよ。
今僕は間違いなく谷にいます。どうして谷に入ったのかというと、恐らく迷いが生じているからです。
今どの方向に向かっていけば見えていません。ビジネス経験を積もうと思っていますが、中々モチベーションを上げきれず、重い腰が上がりません。
けれど何とかしなくちゃという焦りだけはある。これをしよう!という候補もある。
けれどハートが付いていかない。頭とハートは世界で一番離れているとはよく言ったもので、どちらも同じ方向に向かないと中々体が動かない。
で、結局ハートが動かず僕はそれで動けなくなったと。
しかし僕は今のこの状態にOKを出しています。
過去無気力期間に入っても、何かのきっかけにヒント?を掴んでガシガシ動けるようになっていました。
モデリングとなる対象を見つけたり、自分の人生を望むようにデザインしようとしたり、会いたい人に会いに行ったり、学びたいことを学んだり。
どれも無気力期間を経てからの行動です。
無気力の先に必ず得られる果実がある。過去のパターンを知っていると無気力を毛嫌いすることもなくなり、却って歓迎するようになった節もあります。
「あ、この無気力の先に何か新しい物が生まれるな」って。
今無気力ながら頭の中を書き出してみました。
無気力の歓迎は、自分の人生を信頼していないと出来ません。そう思うとどんどん自分の人生を信頼出来ていることに驚きを隠せません。
何があっても順調に進んでいる。なので安心して休もうと思います。
おしまい。