トレードオフ、二律背反。世の中には便利な言葉があるなーってしみじみと感動すら覚えてしまう。
一方を追い求めるともう一方を犠牲にせざるを得ない関係。
確かにトレードオフとも言える関係が巷に溢れている。
どちらも欲しいと望むからこそ、どちらかに絞ることは出来ない。
僕たち人間は、そんなトレードオフのジレンマにしばしば頭を悩ませてしまう。
ここ最近のこと、僕もトレードオフのジレンマにハマり混んでいた。
ここで”ハマり混んでいた”と書いたのには理由がある。
僕は、”ある事”に気づいてしまったのだ。
AとBどちらも望んでいるが、両立は出来ないと”思っている”。
この”思っている”というのがミソで、
つまり両立出来ないと単に思い込み、悩み立ち止まっているだけに過ぎないということを自覚してしまった。
一例を挙げよう。といっても僕の例だけど。
フィーリングに最も合った土地に赴き、その時その時の縁に合わせた方法で収入を得ていきたいというさながらさすらい人のようなライフスタイルを送りたいという願望がある。
そして一方で、理想のパートナーに恵まれ落ち着いた安定した穏やかな家庭を営みたいという願望もある。
経済面で縛られない自由な生活を望む傍らで、家庭面で腰を据えた生活を望むという”矛盾”。変化も安定も望むという矛盾。
まぁ本当に”矛盾”しているかどうかはさておき、僕には両立することが出来ないと”思っていた”。
どちらかを選んでしまうことで、どちらかを犠牲にしてしまう。自らの責任を持って犠牲もまた選んでしまうことが恐ろしい。
そんな恐怖にやられ思考停止に陥り、どちらも選ばないことで結果どちらも実現出来ないという元も子もない未来が待ち受けているだろうというのが、ここ最近の僕の心の動きと目に見えた展望だ。
とても興味深いなーと思うのが、こうして心の動きを眺めていると、自分の習性というか意思決定のポイントが見えてくることだ。
片方を選べばそれを実現出来る可能性が高まる。にも関わらず、自らの選択によって失うことが怖すぎるせいか、双方実現出来ない方を選んでしまう。
それだけ自分で責任を負うのが恐ろしいと思っている。恐怖で物事をフォーカスしてしまえば途端に恐ろしい側面がドドドと大きく見えてしまう。
そりゃー決断出来ないわけだ。
しかしこれは過去の自分の意思決定のパターン。無意識のパターン、つまり思い込みってやつだ。
なぜなら自分で検証をした訳ではないから。
ではこの無意識についつい取っちゃう”思い込み”を、どのようにすれば崩せるのか?
それはまた次の記事で。
おしまい。