大切なことを全て大切にするために、痛みと引き換えに動くエネルギーを得ていた:犬飼ターボ センターピース 9

大切なことを大切にすること。言葉にすれば単純で簡単。

 

だけどその通りにするのは、ひじょーに難しいなって感じています。

 

例えば旅行費用を蓄えるために、会社の飲み会には参加しないようにする、飲み物はペットボトルで購入せず水筒で持参するといった

 

自分にとって大切なことと、特に大切でないことの比較であれば、たやすく選ぶことが出来ます。

 

一方で、

 

将来実現したいことのために時間とお金を勉強に割り当てるのか、はたまた自分の趣味やオシャレすること、大切な人と過ごすことに時間とお金を割り当てるのか、といった

 

自分にとって大切なことと、別の大切なことの比較であれば、どちらを選べば良いのでしょうか?

何を判断の拠り所として?

 

迫られる大切なことと大切なことの選択

こうした問題提起をしているのは、いま、僕の頭にズッシリと重く悩みがのしかかっているからです。頭で考えても答えが出ないのです。

 

前回の記事ではセンターピースを受けた当初の目標から、更に発展した目標「表現力を磨き、心を揺さぶり感動を伝播する」が生まれたことについて触れました。

 

エネルギーが湧きましたよ。うおおおおおおやってやるぜ!ってなもんで。

 

目標に邁進し続けました。時間もお金も極端にそちらに割いています。

すると突如、ふっと悲しい?いや虚しい?気持ちが忍び寄ってきました。

 

休みの日は基本部屋にこもって作業しています。当然ですよ。エネルギーが湧く目標を少しでも早く実現していきたいのですから。

 

そのためには、時間やお金を不適当に使うことを極力減らす必要があります。なのでそうしています。

 

だからといって、

 

たまには人と関わりたいし、遊びに行きたいし、心をおきなく青々とした海を眺めながらのんびり過ごしたい気持ちもあるんです。

 

これらも僕にとっては大切なことだから。

 

でもそうしちゃうと目標の実現が遠のいちゃう、とも思っています。

 

だからそんな気持ちを見ないように、体の内の奥へ奥へとグッと封じ込めていました。

 

ある大切なことを大切にするために、別の大切なことを犠牲にしなければならない

 

大切なことを大切にしたいのに出来ない。

 

内に封じ込めた辛さが、悲しいや虚しい気持ち、痛みの感情の正体でした。

合理的な判断と不合理的な気持ちとのせめぎ合い

では、人生で大切にしたいことが複数あるにも関わらず、どうして目標実現の一点に集中しているのでしょうか?

 

僕の場合、そちらを選ぶ方が最短で、全ての大切なことを大切に出来ると思っているからです。

 

今はサラリーマンで平日の日中は仕事をしています。なので仕事終わりと休日の限られた時間を、別の目標のために使っています。

 

であれば日中の仕事そのものを変えて、どうにか目標の方に割り当てることが出来ないか?

そして仕事終わりや休日の時間、お金を別の大切なことに割り当てられないか?

 

と考えるようになりました。

 

逆では駄目なのです。限られた時間の中のんびりしたり趣味に走ったりしているだけでは、目標の実現に至る道筋が見えてこないからです。

 

そうではなく、目標を実現する過程で余裕が生まれれば、別の大切なことに目をやれるようになるのです(と思っています)。

 

頭で納得するなら後者しかないのです。後者であれば捧げた大切なことを取り返せ(ると信じてい)ます

 

※ベースにあるのは全てを大切に出来るか否かという0-100の価値観

 

このように考えると、

 

目標を立てた当初の”人の心を揺さぶり感動を伝播させたい”という目的が、いつしか捧げt大切なことを取り返すために目標を実現する必要がある

 

という目的にすり替わってしまいました。

 

海に雪が落ちていくように、捧げた大切なことがポツポツと消え行くのが寂しくて。

どうにかして、どうにかして消え行く粉雪を、この手ですくってあげられないのかと、そう思うのです。

 

待っていろよ!必ずこの手ですくいに行くから。すぐに泳げるようになるから。ぜったいに見捨てないぞ」って。

 

だから焦りが生まれてしまうんですね。

 

これも過去僕の人生で繰り返しているいつものパターンです。

崖と階段のらせん階段

センターピースを受けて、安心感・つながり感・自己肯定感を満たし、新しい目標という実現欲求が生まれました。

 

その結果、目標実現のために、またもや痛みから動くパターンにハマっています笑。

 

痛みのアドレナリンが分泌されている間は目標に邁進します。

 

でもいつまでも長続きしないのです。痛みの感情から分泌されるアドレナリンが切れてしまえば動けなくなっちゃうのです。

 

結果3歩進んで3歩戻るの繰り返し(認知の歪み)。まるで日にちをかけて動く振り子のように。

 

無情にも時だけが過ぎていく。何も結果を生み出せない自分のことを益々許せなくなりました。

 

そして大切なことを捧げているという意識があるせいか、人と関わる中で、目的意識なく時間やお金がむやみに費やされるようなことがあれば、

 

容赦なく厳しい考えが頭に浮かびます。

 

「何をしてくれているんだ!ムダだろう!!」って。

 

人のことも許せなくなっているんですね。

 

冷静に考えると僕のこの考えはおかしいのです。本来人と関わり楽しく笑顔を生みたいと思っています。大切なことです。

 

なのに正反対のことをしているんですからね笑。

 

気がつけば、こうして不安感・孤独感・自己否定感の波にザーッと飲まれていました。

 

センターピースで学んだ崖ルートと階段ルートを行ったりきたりです笑。

 

では、どうすれば良いのか?

 

おそらく感覚的には分かっているものの、その今までとは違うパターンを取ることが出来ません。

 

もし今まで捧げていたことを大切にしてしまえば、きっと全てを大切に出来なくなる(と信じている)から。

 

けもの道を通らないのは怖いから。

 

目標が実現出来なくとも、何は起きない?
何があるから安心?

 

といった不安感を払拭して安心感を満たしていくことが、おそらく馴らされていない道をテクテク歩く1歩なのでしょう。

 

要するにセンターピースで学んだことを1つずつやっていきましょうってことです。

 

焦っていることに気付いていることが素晴らしいし、全てを大切にしようという大きすぎる意欲も素晴らしい。と自分をねぎらって。

 

ちゃんちゃん。

 

PS.
面白いもので、前回までは安心感・つながり感・自己肯定感を満たしていたからか頭がドチャクソ活性化していました。けれど今はズッシリと鈍くなって、全然考えを整理出来ません。

 

頭の回転度合いで、ある意味安心感・つながり感・自己肯定感を満たせているかどうかを測る指標になるかも笑。

 

また次回のセンターピースの講座はおそらく大切なことを大切にすることをテーマに扱うようなので、解決の糸口が見つかるかもと楽しみです。

 

PS2.
ご覧頂いた通り犬飼ターボさんのセンターピースを受講しています。

 

講座を通して得た学びをもとに、僕の過去や現在やこれからの未来について思いを巡らせて、あれこれ頭をグルグルさせてみたり、ガガッと揺れ動く心の様を言葉にして伝えています。

 

こうして書き上げた記事を通して、センターピースを受講した後の日々の緩やかな変化を擬似体験してもらい、僕と同じように楽しい成長を味わう喜びを感じていただけたら嬉しいです。

 

もし僕と同じように人生について、何らかのもどかしさを抱えていたり、パンッ!!と弾ける喜びを感じたいと思っているあなたの、ちょっとしたお役に立てればと思い下記に記事をまとめました。ご一読下さいまし!!

 

↓↓↓

 

記事一覧はこちら