かつてはほぼ毎日更新していたブログは、今や月に1回程度とすっかりと更新頻度が落ち込んだ。
ブログを更新するということは、言い換えてみれば自分の頭の中のグルグルを言葉によって物質化させることを意味する。
この物質化させる作業をどうしてしなくなっていったのだろうか?
ふと浮かんだこの問いは、ブログ再開に向けてちょうど良いテーマだと思うので、少し掘り下げてみようと思う。
パッと出てきた答えは、頭の中のグルグルを形にした先の結果に対して特に魅力に感じなくなったからだ。
噛み砕いていえば、
ブログ更新=自分の頭の中を整理する作業
更新するテーマは、自分が学んだ内容や体験、今後の方向性といったものだった。
これらのテーマを書き続けることで、どんどん自分の頭を整理して、次の行動を促す良いサイクルが出来ていた。
ところがふと、この良いサイクルを回し続けた先にある結果、つまり自分が理想として設定し求め続けてきたライフスタイルに対し、
「このままこっちの方に進んで良いのだろうか?」
「本当にこうしていて楽しいのか?」
と疑念が生まれ、自分のやっていることに対して急激に虚しさを感じるようになった。
光がパッと差し込む明るい出口に向けて歩いていたはずが、
底なしの沼にズズズと入り込んでしまったかのようだった。
これが自分に合っている、ようやく変われる気がすると思って取ってきた一連の行動が、全く意味が無かったように感じられ、意欲がどんどん落ち込んでしまった。
向かっていきたい方向に惹かれない。この状態に陥ってしまえばエネルギーが湧いてきようもない。
「ちょっと一旦離れてみよう。もう良いから休んでみよう。」と半年間ほどあえて休息を取ることにした。
もちろんかつてあったエネルギーを取り戻すためだ。
時間はかかったけど、休息を取ったおかげか、またブログを書けるようになってきた。というよりも書きたいと思えるようになってきた。
無気力に陥った原因は、明確には何かは分からない。
たぶんなんだけど、現状を維持しようとする安定化志向が働いた結果だと思う。
または、
自分を動かす際に、まだまだ本音の部分に目を背け続けたまま行動するのが苦しくなったのかもしれない。
描く未来の理想に向けて動くのは、上昇志向に溢れていて人として魅力だと思う。
だけどそれだけではガス欠を起こし、”今、この瞬間”自分は何を感じたいのかに、きちっとフォーカスして、それを満たしてあげることも必要だ。
でなければ疲れきってしまい、せっかく動いているのにも関わらず、理想の、素敵だと感じるセンサーが鈍ってしまう。
今この瞬間を否定し、未来に向けて焦りをもったまま日々を過ごしガス欠を起こす。
これこそが、僕を無気力に至らせた要因だと思う。
半年間ほどちょっと動くのを止めてみて、ボーッとこれまでの自分を眺めた結果見えてきたものを言葉にして物質化させてみた。
おしまい。