環境によって人の評価は変わる。
これ、意識してみて。たぶん本当だから。
そんで更にね
自分が楽しんでチョロくやってて評価されるのはどんな環境?
と意識してみない?
僕はまだ実証出来ていないけど、その環境で飯を食えていければ最強だと思う。
僕はとある業界に勤めている。
会社に貢献したいと思い、一生懸命業界や商品知識について勉強をしているところだ。
ところが、
興味を持とう!もっと知識を深めよう!!と思って勉強を重ねても、正直なところ興味を持とうと思っても持つことが出来ないので、いくら頑張っても身に付いた実感が湧かない。
技術関連の本で、同じ箇所を何度読んでも頭に入らないし、学んだことを整理しようと思っても手が動かない。
本当にもう、僕ってどこか頭に欠陥があるんじゃないか。そう思ってしまうぐらい頭に入ってこない。
そんな調子だから、とある部署の人と関わると、ほぼ毎回痛烈にズタボロなるほどこき下ろされてしまう…
しかし
一方で他の部署と関わるときは、同じぐらい知識がないのにも関わらず、こき下ろされるどころか優しく教えてくれる。
そして僕は特に何もしていないのに、よくやっているね!と謎の高評価を受けたりもする笑。
このことから、自分が関わる環境次第で、自分の評価は変わるということを経験した。
環境次第で自分の評価は変わるということを経験した。
どうせなら、自分が楽しくチョロくやって、めっちゃ評価される環境がいいなーって思う。
しんどくて苦労を重ねた対価として評価を得るのではなく、
「え?僕ただ楽しんでただけなんですけど…」
と拍子抜けする感じで高い評価を得る環境。
前回の記事で、僕は褒められたことを自慢した笑。
若いのに、自分の意識の偏りに気付き、修正するために色んな行動に移して凄いって。
この記事では、褒められたことを才能を磨くという切り口で掘り下げてみた。
同じ褒められた出来事を環境という切り口で掘り下げてみて、分かったのは、、、
楽しくチョロくやって評価される環境は、どこかしらあるということだ。
僕は今心理関連に興味を持って学んでいる。それこそ問題解決セラピスト養成講座を受講したりね。他にもコピーライティングに興味を持っていて、写経をしていれば時間を忘れるくらい没頭している。
僕自身が楽しいと思い、特に苦労を感じずにチョロくやっている。それが何故だか褒められちゃう環境。
これだよ。僕が探し求めていたのは笑。楽しくチョロくやれる環境にいると、自ずと自分の魅力が最も出るのだと思う。
確かに苦労を乗り越えて評価されるのは、やりがいがあると思う。また何かの成功体験の話を聞くと何かしら苦労を乗り越える話が出て来る。
だから成功するにはどうしても苦しい、厳しい環境が必要だと思えてくる。
が、そんなことはない。ただあまりにも苦労と引き換えに評価される話をよく耳にし、目にするため、それしかないと思って、苦労ばかりに意識を注いでいるだけだ。
僕という人間が、ズタボロにこき下ろされてしまう環境もあれば、ホニャニャニャニャニャと楽しんでやっていることが評価される環境もある。同じ人間なのにね。
楽しくチョロくやって評価されるの環境を見つけるには、まず探そうと思い、意識を注ぐこと。
そして楽しくチョロくやれることに時間を割いていくこと。
まだ僕はそんな理想的な環境で飯を食えていない、つまりお金を生み出せていないが、行く行くは生み出せる理想な環境を作り出したいと思っている。
だからまず僕は意識を注ごうと思う。
どうやれば楽しくチョロくやって評価される環境で、お金を生み出せる?と。
おしまい。