行動エネルギーの源泉は失いたくない恐怖から?それとも味わいたい喜びから?:犬飼ターボ センターピース11

以前の記事では、大切なことを全て大切にするために、痛みと引き換えに動くエネルギーを得ていたという気づきについて書きました。

 

人生の大切な分野とその理想を実現するために、一つの分野に集中し他の大切な分野を犠牲にしたことで、何故か苦しい気持ちの痛みが心に押し寄せてきていたんですね。

 

訪れた混乱。

 

カラクリを分かってしまえば動けなくなってしまう。本能的にそう思っていたからこそ、頭が回らなくなりました。

 

1ヶ月以上の混乱の中ようやく起きている状況を紙に書き出し、ついに正体を明らかにしました。

混乱の正体とは?
明らかになった恐怖のカラクリと源流は?

大切なものを喜びではなく恐怖で捉えていた

センターピース初級の5回目で、講師である犬飼ターボさんに僕の混乱について質問をしました。

「大切なものを大切にしようとして、優先順位を付けて時間とお金を割いているのに苦しいのはなぜでしょうか?」
※実際はしどろもどろな質問を簡潔に書きました笑てへっ★

 

「それはね、リータ(僕の名前)が大切なものを恐怖で考えているからだよ。」

 

講座の時は、回答を得てなるほど〜!と頭では理解しました。

しかし苦しい感じは変わらずで、混乱は収束しないまま。理解したのに腑に落ちていない証拠。

謎です。

 

そこで改めて、僕の今の頭の中と得られた回答を紙に書いて整理しました。

 

するとようやくスコン!と腑に落ちたので、これはどうしても記事にして伝えなくては!と思い、よう分からん使命感からこの記事を書いています笑。

 

まず僕の今の状況はというと、

ビジネス、お金、パートナーシップ、健康、家族、趣味、感動、人間関係といった人生の大切な分野を全て大切にするために、

 

手始めにビジネスに集中して取り組もうとしました。

なぜならビジネスで成功を収めれば、時間とお金を生み出し、他の分野に目をかけられるようになり、全ての分野で理想の状態を生み出すことが出来る。

 

ビジネスは最短距離になると思ったからです。

 

そのためには、今は他の分野を犠牲にしてでも取り組むこと(痛み)。

いわゆる優先順位を付けて、優先度の高いものから取り組むってやつですね。社会で求められることです。

 

最終的な到達地点である理想の状態、成功ってやつは、安心感、つながり感、自己肯定感を味わい幸せな人生を送ること。

センターピースで学んだ階段ルートを日々実践する環境を作るということです。

 

僕は本質的な喜びのために向かっているのだから、このまま突き進めば良い!と思いドドドドドと猪突猛進しました。

 

しかしここに落とし穴があり、僕は気づかずにボコッとハマっていたんですね。チョロいな〜笑。

 

大切な分野の理想の状態を実現するために行動をする。

でも目的に向かう行動の裏側で僕が感じていたことは、行動しなければ、理想を一切実現出来なくなる恐怖でした。

 

怖いから行動をしていたのです。こうした痛みの感情から動くことをCPでは崖ルートと呼びます。

 

座して死を待つではないけれど、今のままでは乗っている船が沈んでしまう。目的地である港に向けて、船を漕がねば明日は無い。

 

だから漕ぐしかないと思っていました。これが苦しさの正体。

 

この思考パターンに気づいたとき、ビビビと衝撃が走りました。

本質的な喜びという到達地点は階段ルート。そこに疑う余地などないと思っていたからです。行動そのものが問題であって、目標そのものの捉え方は特に問題ないと思っていました。

 

脳みそちゃんが分からせないよう気づかせないように、頭の働きをストップしてくれていました。これが混乱として現れていたのです。

 

なぜならこのパターンに気づいてしまえば行動出来なくなり、行動しなくなると恐怖が現実のものとなる(と思っていたからです)

 

とんでもないことですよね。

また目標地点に到達しても、次の失う恐怖を勝手に作り出し、また動き続けるしかないのです。

過去の体験から今に至るまで、そうなることが感覚的に分かっていました。

 

だからこそ、今は気づけて良かったと思っています。

本当に大切なことを大切にするために、立ち止まらせてくれているんだなって捉え方が出来るようになりました。

 

となると、失う恐怖から動くパターンを変えることが、航海をするためのコンパスとなります。

 

狂ったコンパスを正しく動作させることが今の目的。

理想の状態は知っている。ならば出発点と今の現在地を知ることが動くために必要なこと。

 

つまり何がきっかけでパターンが形作られたのかを明らかにすることが解決の糸口になり、ギュルギュル揺れるコンパスの針が元に戻るのだと思いました。

 

思い当たるきっかけが一つ。

僕の高校時代です。暗黒の…

父親の条件付きの愛を得るために、登りきった偽りの崖

大切なことと失う恐怖をセットで捉えていました。

 

そのきっかけはどこからなのか。振り返って分かったのは、高校時代の大学受験でした。

 

僕が入学したのは自転車で通える地元の最寄りの高校。学力は県内でちょうど真ん中に位置する普通の高校です。

入学時の僕の成績は真ん中です。いわゆる普通の高校の普通の生徒ってやつですね。

 

将来については特に考えてもなく、ただ流れるままに生きていました。

 

そんな僕に転機が訪れます。

 

高校入学を機に、父親の強い説得により地元では進学実績が格段に良い学習塾に入ることになりました。

 

僕の高校からは普通にやっていれば、まず世間で言われる難関大学には入れない。しかし高校の進学実績を引き上げているのはその塾の出身者でした。

 

僕の両親は2人とも高卒です。父親は口癖のように社会に出てからというもの苦労の連続で、その原因は自身の学歴にあると言うのです。

 

そしてこれからの時代良い大学に出ていなければ、もっと苦労するようになると信じていました。※あくまで父親の考えで、父親との境界線を引いてからは僕はそうは思いません

 

僕は小学生、中学生と大きな反抗期もなく、父親っ子でした。

 

父親の事が大好きで、毎日仕事から帰宅したときの駐車するブーーープゥ…という音を聞き分けては、ダダダダダと玄関まで迎えに行くような健気な子どもでした。

 

犬か笑。

 

たまに隣の家の車と聞き間違えても、どうか父親であってくれと祈るような気持ちで待つような子です。

 

そんな僕だから、父親の言うことは全て正しいと真に受けていたのです。

 

父親の期待に応えて喜ばせてあげたい。もっと父親の愛情を受けたい。その一心から勉強に励むようになりました。

 

しかし元が元なのです笑。

 

学校終わりや土日休みなく、わざわざ電車に乗って塾に通って机に向かっても、成績はずっと横ばい。それが高校3年の夏まで続きました。

 

模試の結果を父親に見せる度に、ハァ・・・とため息をつかせてしまい、もう愛情を受けられないのではと恐怖に襲われていました。
また期待に応えられない自分が許せなかったし、無力感がキツかった。

 

僕はこんなに勉強をしているのに(実際は塾にいるだけ笑)報われない。駄目な子だ。毎日が陰鬱な気持ちが占めるようになりました。

 

高3になり、成績の良い友人の勉強方法を模倣してからはギューンと急上昇し、学年で1位となりました。※この成功体験が今となってはパターンから抜け出せない足枷に

 

結果、高校入学時にはとてもじゃないけど考えられなかった大学に進学出来ました。

 

めでたしめでたし…ではなく、
ここで異変が起こります。

 

父親が近隣の人に対して、僕のことを自慢して回りました。「うちの子は〇〇に合格したけれど、お宅の子は?」と。

 

僕は近隣の人に不快な思いを抱かせる父親の事が恥ずかしくて、何度も止めてくれと伝えますが、聞く耳を持ちません。

 

それだけでなく、僕が今後どのような大学生活を送るのか、日々何をしているのか、異様に干渉し、父親が考える理想の生活を送らせようと画策してきました。

 

なぜ目標を実現したのに、父親の事を嫌いに感じるのだろう?なぜ僕の言う事をきいてくれないのだろう?

 

掲げた目標を実現し理想を手に入れるはずが、全く逆のことが起こります。

何かがおかしい。

 

そこで僕は結論付けました。

 

父親は僕の将来を案じて幸せになってもらうために勉強させたのではなくて、自身のコンプレックスを晴らすために僕を使ったのだと。
父親は自身の人生を生きるのではなく、僕を通して生きるつもりだと。

 

信じていた好きだった父親像は幻だったと気づきました。

 

彼にとっては僕は恨み辛みを晴らす道具でしかなく、目的を叶えるようであればご褒美に愛情を与える存在にしか過ぎなかったのです。

 

条件付きの愛。違和感の正体が明らかになりました。

 

それからというもの僕の全てをコントロールしようとする父親に対して、反発し始めました。

 

すると父親は不機嫌になるか、悲しい顔をして拗ねて黙り込むのです。

 

僕は罪悪感にやられました。

 

反発をすれば父親を悲しませる。しかし従ってしまえば一生操り人形のまま。

心が身動きを取れなくなりました。

 

良い大学に行かなければ、人生で苦労をする。良い大学に行かなければ、好きな父親の愛情を受けられない。

 

そんな恐怖から動いて崖を登りきって頂上で僕が見た景色は、

 

良い大学に行ったところで、その過程で培われた陰鬱な思考パターンやマイナスのセルフイメージがその後の人生を暗くさせ、僕が求めていた幸せが得られない、父親との確執という光景でした。

 

ここでマイナスのセルフイメージが生まれました。僕は何をしても不幸になる運命だと。

 

だから僕は幸せなんかなれやしないと思っていたし、関わる人に痛みを与える存在だと捉えるようになった。

 

楽しいことをしようとしてもズシンとのしかかる罪悪感からは逃れられないようになっていたのです。

 

そして中途半端に目標を達成したことで、僕にはもう、恐怖から動くことしか出来なくなっていました。

それでしか残された希望に向かう方法を知らないのですから。

 

悲しいかな。目標を達成した先には、決して本当に求めていた幸せを感じられないということも過去の体験から分かっています。

 

動かなければ恐怖が現実のものとなる。しかし動くには痛みから動くことしかしらないし、動いた結果更に痛みを感じるのです。

 

僕は大切なものを恐怖として捉えていても、痛みの感情から動くしかなくとも、それでも尚大切なことを実現するために動くしかないのです。

 

駄目だと分かっていても。痛みしかなくとも。

 

僕がここ10年以上ハマっている、ずーーーーーーっと付き纏っている苦しさの原点について少し触れました。

 

父親自身の僕に対するあたり方も変わりました。僕はもう従順な人形でなくなってしまったのですから。

 

そして父親の矛先が母親に向き、夫婦仲がまた悪くなりました。間を取り持つために僕が仲介役を担うようになり、痛みの記憶が更に強化されていきます。

 

僕は父親に対しては愛憎がセットとなっています。むしろ憎が大きくなり、今では会話もろくにしなくなりました。

 

それが社会や目上の男性の方との関わり、苦手意識にも大きく影響が出ています。

最後に

さて大切なものを恐怖として捉え、恐怖から逃れるために行動エネルギーを得ている原点が明らかになりました。

 

進むべき進路を示すコンパスの針を戻すには、僕の父親に対する痛みの記憶を書き換えて、おもりを外すことが解決に至るひとつのきっかけになるのではないかと思っています。

 

もちろん父親の僕に対する愛情や、父親自身痛みの感情から動いていたことなど頭では理解できています。親子ですから。

 

また僕たち子どもを育てるために、ただひたすら働いて我慢し尽くしてきた自分を認めて欲しい、自分を認めるために支配したいという父親の意図も分かります。

 

でも自分はこんなに尽くしたのに家族は分かってくれない、支配できないと不貞腐れて、家族みんなの喜びへの望みを失っては欲しくないのです。

 

そしてそんな父親を僕は変えられないと認めたくないのです。何度失敗しても。

 

認めてしまえば、望みを失ってしまうから。悲しみが押し寄せてきてしまうから。

頭ではもう失ってしまっていると理解はしても、僕の心はまだ受け入れられていないのです。未だに執着しているのです。※0-100思考

 

センターピースの中級を受けるのは、そのおもりを外し、きっと僕の心のマヒを解いて、悲しみを受け止めてあげるためなんだろうな。

 

本当に大切なものを大切にし、喜びで動くために。家系で連鎖している恐怖・痛みを断ち切り、喜びで溢れた幸せな人生をこれから歩むために。

 

おしまい。

PS.
ご覧頂いた通り犬飼ターボさんのセンターピースを受講しています。

 

講座を通して得た学びをもとに、僕の過去や現在やこれからの未来について思いを巡らせて、あれこれ頭をグルグルさせてみたり、ガガッと揺れ動く心の様を言葉にして伝えています。

 

こうして書き上げた記事を通して、センターピースを受講した後の日々の緩やかな変化を擬似体験してもらい、僕と同じように楽しい成長を味わう喜びを感じていただけたら嬉しいです。

 

もし僕と同じように人生について、何らかのもどかしさを抱えていたり、パンッ!!と弾ける喜びを感じたいと思っているあなたの、ちょっとしたお役に立てればと思い下記に記事をまとめました。ご一読下さいまし!!

 

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